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甲佐町にうかがって(2021/12/18-19)

更新日:2022年2月19日

辻本侑生


 ラボラトリ文鳥では、2021年度より、熊本県甲佐町の公営塾「あゆみ学舎」と共同で、中学生・高校生と一緒にまちを歩き、地域づくりにつながる探究学習を行う「なぞとき・こうさてん」プロジェクトを実施しています。甲佐町は2022年現在、人口約1万人を擁し、ニラの栽培などで知られています。水路がめぐる市街地と中山間地域から成る自然豊かな土地ですが、歴史的には水害に襲われ、また2016年には熊本地震の被害を受けています。

 「なぞとき・こうさてん」プロジェクトはまだまだ続いているので、全体の報告はまた改めてと思いますが、以下の記事では、2021年12月に甲佐町を訪れた際に、個人的に感じたことを記しました。なお、今回の訪問に関しては、甲佐町の広報誌である、「広報こうさ」2022年2月号でも取り上げていただいていますので、併せてご覧いただければ幸いです(https://www.town.kosa.lg.jp/q/aview/243/8058.html)。


甲佐町の風景

(2021年12月18日、ラボラトリ文鳥撮影)


どのような地域にも多かれ少なかれ当てはまる特徴であろうし、自分が比較的古そうなものに着目してしまう癖があるからかもしれないけれども、甲佐町を二日間にわたって訪問し、この町の人びとがとても「歴史」と近い距離に暮らしていると感じた。


 12月19日の甲佐中・高校生向けワークショップの準備を兼ねて、前日18日にまちあるきを行った。甲佐高校を出発して、すぐに立ち寄った小さなお堂の石柱には、甲佐からハワイへ移民した人の名前が刻まれていた。石柱の文字を読もうとかがんでいると、お堂の管理をされている家の方が声をかけてくださり、パッカルゴールド(ヤクルトに似ているが、久留米に本社のある会社の製品)をまちあるきのメンバー全員分持たせてくださった。ハワイへの移民の痕跡は、この後訪れた甲佐神社の灯篭にも残されており、甲佐の近現代史を考える上で、重要なポイントであると直感している。どのような経緯でこのお堂が建てられたのかを、移民史との関わりを念頭に調べるだけでも、一つの研究になるだろう。

甲佐神社の灯篭にある「布哇(ハワイ)国出稼人中」の文言

(2021年12月18日、ラボラトリ文鳥撮影)


 古民家をリノベーションした宿泊施設やショップなどが立ち並ぶ甲佐町の中心部を歩いたあと出会ったのは、より古い、中世の時代の接点である。車で訪れた甲佐神社では、境内にいらした宮司さんが、ちょうどその日に設置作業が済んだばかりの新しい由緒書の立て看板を使って、甲佐神社の歴史を説明して下さった。また、拝殿の中には、13世紀の元寇の様子を描いた絵馬「蒙古襲来絵詞」(原本は宮内庁所蔵)を、地元の複数の方々が関わって模写したものが、模写作業に取り組んだ方々の写真とともに掲げられていた。

 翌12月19日の朝に訪れた麻生原集落は、町の中心部から離れた中山間地域であり、国の天然記念物に指定されているキンモクセイの木がそびえたっているが、そこではさらに古い「祖先」の時間と出会うことになった。キンモクセイのすぐ近くに「本区祖先合霊之碑」という古い碑があり、平成28年の熊本地震により倒壊し、修復されたとの記載があった。集落全体の「祖先」が一つの碑に祀られているという表現は民俗学的にも珍しいように思え、その意味を本格的に明らかにするためには、麻生原集落の方々に聞き書きを行う必要があるが、集落のすぐ近くにその地区全体の「祖先」がいるという表現からも、「歴史」との距離の近さを感じざるを得なかった。

 そして甲佐町は、ただ「歴史」が近くにあるというだけではなく、「歴史」を大切にする施策も進められている。2021年10月には、町内の中世城郭・陣ノ内城跡が国指定史跡となったが、「広報こうさ」を拝見すると、指定に至るまでに必要となる基礎的な調査研究は、何年もかけて地元の歴史研究者と町社会教育課が協働して積み重ねたものだったという。


‥‥というように、今回の甲佐訪問は、中学生・高校生とともにまちをあるき、何かを探究するワークショップが目的だったにもかかわらず、自分自身の興味関心に引っ張られ、中高生とのまちあるきのあいだも、ただ歴史談義に付き合わせてしまった気がする。このことは反省点かもしれないが、アンケートに歴史や民俗学が面白かったと書いてくださった方が何人もいたのには、ほっとした。どうもありがとうございました。



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